フラワーメディスンインテンシブでどのような事をしたのか。
あの体験はなんだったんだろう。と、ひと月経って考えてみる。
自分がなにを求めているのか、どうなりたいのか。自然との関係を結びなおす、それはどういうことなのか、自分に叶うことなのか。
普段の日常から離れ、飛騨高山の里山で過ごす6日間。
日常から離れることを可能にしてくれる、コミュニティと場の力。
とても優しく迎えてくれた山。ありがたいものでした。
大切なことを思い出させてくれ、また開いてくれたような気がします。
内なる自然とそとにあるそれは、響きあう。それを思い出させてもらったような。
それでも計り知れない自然の大きさ、深さ。
そして今の厳しい時代に、まだそこにいてくれる動物や虫、植物達。
そこに在って、誰に教えられるでもなく、自分の役割を全うしている者たち。
フラワーエッセンスは植物の恵み、その中でも花という本質的で一番輝いている部分を分けてもらったもの。それは自然と、ひとりひとりのうちにある自然を繋げてくれる触媒となってくれる。
必要としている人がたくさんいる。知らない人、必要としていることさえ気がついてない人達もたくさんいる。療法として、広く知れ渡る、その時点で既に救いがみえている気もするし、わくわくもするけど。
けれども日本においてはまだ種まきの段階。
ささやかでも、それを案内できるようであれたら、なっていけたらいいなあと思っている自分がいます。
この感覚をわすれないように、もっと深められるように、自分の身近にある自然にもっと足を運びたくなりました。
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2019/06/15(土) 11:59:43 |
フラワーエッセンス
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フラワーメディスンインテンシブに参加して
フラワーエッセンスとの付き合いはかれこれ十数年、オステオパシー校の在学中(2002年とかそれくらい)に知り、ひそかに試していた療法です。
オステオパシーは人の中にある自然の力を信頼して、人が人の体に眠っている治癒力の目覚めを助けて体が再生、蘇生するのを手助するもの。
フラワーエッセンスは自然のなかの、花のもっている力を借りて、人が、本来もっている治癒力、可能性をひきだすのを手助けするもの。
より直接的に、具体的な形で、自然の力を借りられる。花によってその作用の仕方が違う。そこにとても惹かれたのかもしれません。
これは効いているのか?と疑問をもったり、プラシーボでもなんでも役に立てばという気持ちでとったりしながらも、人生の節目節目で助けてもらっていた、それは大きな意味で自分の人生に、心に、体に影響を与えていたのではないかと思います。
その間フラワーエッセンスを勉強する講座に脚をはこんでみたりもしましたが、どうもまだ教え伝えるというところまでは至っていないのだなという印象でした。行ってみたいコミュニティもありましたが、遠方でそうそう訪ねることはできなかったので。自分で細々と続けていました。
フラワーエッセンスは瓶づめで、扱われています。本来植物、花についた朝露を摂り、その花の個性に応じて心身によい働きがあるという発見からはじまったものが、より多くの人が定期的に使えるようにという配慮からそのようになっています。
多くのメーカー、作り手によって。より明晰に花のエッセンスを服用するためのものができるよう努力され、たくさんの人が手軽に用いることができるように瓶づめの容器で売られるようになりました。
僕はオステオパシーを通して、人の体がよみがえり、元気になる様子を、肌を通して大なり小なり感じさせてもらっています。
人は、その人本来の、体がありたい状態でいた時、元気でいる時は、ほんとうに美しい。それをみせてもらえると僕はとてもうれしい気持ちになります。
そしてほとんどの人が、その状態からかけ離れてしまっている。本来の自分から離れてしまっている。
僕はそれを、自然から離れて行ってしまっている、体への顕れとしてみています。
体は、心は治りたがっている、癒えたがっているし、そのための知恵もそなえている。
それでも現代に生きる多くの人は何かに一心不乱になって、体の声が聞こえなくなってしまっている。症状ですら大切なその声のひとつであるのに、抑え込まれ、感じないようにし、物理的に、心理的、エネルギー的に蓋をする。
それは、今人間が、自然界に対して行っていることとどこか似ています。
本来のフラワーエッセンスは、うわべに見える効果だけではなく、自然との繋がりを再び結びなおすことができる力のあるものかもしれません。そのためにはそれを用いる側の器が重要になってくる。
こうして興味をもっている僕自身も大人になるにつれ、自然と距離ができているし。それでも、人の体という自然を通して学んできたことはきっとやくにたってくれて、子供の頃みたいに、もしかしたらそれよりもっと親密に、自然と向き合うことができるようになるかもしれない。なったらいいな。
そんな期待をもって、今回SHASの6日間のフラワーエッセンスインテンシブに参加させていただきました。
SHAS(SCHOOL OF HEALING ARTS AND SCIENCES)HP
SHASフラワーエッセンス療法
2019/06/15(土) 11:45:31 |
フラワーエッセンス
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大事なお知らせです。 結論からいいますと。来年1月から看板が変わり、経営者が変わります。
ここ1,2年、自分の向かいたい方向性はなんとなく決まって来ていたものの、どのような形にすればよいか考えあぐねいていたところ、美洸の設立当初に大変お世話になった方に、譲渡についてのお話をいただき、ありがたくお受けすることにしました。
重ねてありがたいことに、当面の間は使用料をお支払する形で今まで通り使わせていただけることになりました。雰囲気はこれから徐々に変わっていくことになると思いますが、施術や教室はしばらく今まで通りさせていただけることになりましたので、変わらずいらしていただければ幸いです。
このブログも僕がここにいる間は継続していきたいと思います。
2018/12/12(水) 18:20:08 |
お知らせ
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僕はアンドルーワイル博士の本からオステオパスであるロバートフルフォード氏のことを知り、オステオパシーに興味をもちました。触れて、体感して、生命が蘇る、という感覚を自分も感じてみたい。自分の感覚として癒えるということ知りたかったように思います。
オステオパシーは、東洋医学的な価値観とともに、根底に解剖生理学の深い理解がなによりも大切にされていました。自身がどこに、どのようなアプローチをしているのか明晰であるということ。
それは地に足が付いており、しっかりと現実に形をつくろうという、科学的な姿勢を表します。
オステオパシーの施術をこれまでしてきてよかったのは、長年かけてですが、体のつながりを自分の感覚を通して理解することができるようになってきたこと。依頼者の体に何がひつようとされているのか、なんとなくわかることもあるようになりました。解剖生理をある程度理解しているからこそ、感覚だけで終わらずそれが統合された形で、理解できるのだと思います。
本来はそれを生かして、医師や他の療法家と専門的な話ができるし、それは依頼される方にとって効率がよく着実な肉体の回復をサポートすることにつながりますが、そのような土壌が日本につくられるのはまだ先のようで、たくさんの優れたオステオパシーをはじめ手技療法の施術者が一人で頑張っておられることが多いようです。
話がとびましたが、肉体的な健康を土台として、本質的な癒しは、その先へつながります。
インターンを経て、オステオパシーを用いた仕事を始めるようになってからも、未熟さからか、自分の本当にしたかったことはなんだったのか疑問に思い、一度オステオパシーをやめてしまおうとまで考えたことがありました。実際ひとときやめました。
そんなさなかオステオパシー学校の心理学の講座で、寄り道した話の流れで、「光の手」や「癒しの光」を著したバーバラ・アン・ブレナン氏(元NASAの気象物理学者)の話にわたり、エネルギーの視点から人をみる観点があることをちらっと聞いてずっと気になっていたことを思い出し、書籍をよんでいきました。
癒しは、肉体だけ治るということではなく、エネルギーとしての体、感情、精神、その人そのものの癒し、成長につながっていく、ということを、物理学者らしく詳細で具体的な内容で書かれてあるものです。
自分がもとめていたものがそこにありました。泣けてくるくらい嬉しかったのを覚えています。
ブレナン博士はNASA退職後、学校を立ち上げ、エネルギー療法の教育活動をしておられました。その教育機関を卒業された方が日本におられるようであったので、実際に施術を受けに何度かいってみたところ、やはり良い手ごたえを感じました。
平行して節目節目で読み返しながら、「癒しの光」の翻訳者、王 由衣(おう ゆい)氏の方に、興味がわいてきました。
特に専門的な内容の英文を訳した書籍というのは、翻訳者があまり理解できておらず直訳したのだろうなと思わされる文によく出くわすのですが、それがないばかりか、するするとわかりやすく自分のなかに入ってくる、何度も噛み砕かれ、自身の中に落としたものをわかりやすく翻訳しておられるのが伝わってくる。
ネットでしらべてみると、独自の教育の場を提供されているようでした。
School of Healing Arts and Sciences サイトの雰囲気、構成、文章からも感じるものがあり、とても興味があったのですが、いつか自分自身に準備ができたら・・と思いながら早10数年。
昨年ようやく思い立って、王氏の教育のいくつかを終え、インターンにさしかかっている方の施術を数カ月にわたり何度か受けにいき、よい体感を受け、より興味がわいてきて、Webクラスなどを受け続けていきました。
昨年飛騨高山の研修にいったのは実はその、対面クラスに参加したものです。
10数年の間にはスピリチュアルブームのようなものがあり、TV番組でとりあつかわれたり、自分のまわりでも、引き寄せ願望実現関連や、○○ヒーリングなどをしている人が増えていました。すごいなと思う人もいたし、善人で良い人たちなのだろうけど、なんだか腑に落ちなかったり、合わなかったり。残念な思いをしたこともありました。
なので、期待半分ドキドキだったのですが。
まず最初に気がついたのは、クラスの会場にいる人たちと、会場の空気のよさでした。
そして徐々に来てよかった、間違ってはいなかったとわかりました。
そして、その中心に立つ人物(web講座は声だけであったのでお会いするのは初めて)は人、歴史、自然、社会を大変長く深く学ばれている、心、エネルギーという目に見えない領域を専門にしながらも、しっかりと地に足がついている、人としての厚みのようなものを感じさせる方でした。
実際のクラスでは、僕がそれまで施術を通して漠然と感じていたものが、エネルギーの領域から見た方がわかりやすく落ちてくる。そのことが感覚を通して理解できたことが、なによりの収穫でした。世界がよりひらけ、高さと深みがみえてくる、もっと探求したくなる、僕にとっては突破口になりました。知識だけではなく誰かと共有して感じることができるありがたさ、クラスのメンバー、しっかりとした場の力があってこそのことかと思います。
まだまだ入口にさしかかったばかりだけども、学びつづけていけたらありがたいなあと思っています。
ヒーラー、という言葉は、日本においては信用のなさが増してきているように感じていて、あまり積極的につかいたくない自分がいます。気で人を治すとか、人生を好転させるとか、奇跡が起きるとか、すごいものが見えるとか、とんでもないひとは時にとんでもない効果をひきあいにだして人を惹きつけることがあるけれども、それは本質からずれているのではないかなと。
どのような療法であったとしても、ひとの心身があたりまえに癒え、健康にもどり、人が本来の自分を思い出して、やりたいことを気持ちよくやれるようになる。そのシンプルなことがとても大切なことで、時に奇跡を生む。本来それをサポートさせてもらう仕事なんじゃないかなあと思います。
そして、それぞれに専門があり、職人のように仕事をする。
なので、僕がエネルギー療法をできるといってそれでお金をいただくことはありません。どんな体系でもひとつの分野をしっかりと学ぶのには、才能のほか、相応の時間と努力がいります。
ただオステオパシーを提供するものとして、エネルギーの領域から学んでいくことは自分にとってかなりプラスになると思います。安全に配慮した範囲で、学び進めていくうちに、組み込めるものは組み込んでいくので、いままでと同じ価格で受け続けることができるのはお得かも。応援していただけるとありがたいです。
そして今も、解剖生理学を探求し、みられる範囲、アプローチ方法を広げていくオステオパシーの姿勢はリスペクトしていますし、自分自身まだまだであると思います。
オステオパシーをしっかりとつきつめていけば、エネルギー療法を含む他の療法、医療とのしっかりとした架け橋になりえるし、手技療法というのはほんらいそのような広がりがあるものなのではないかと思います。
そんな感じで、エネルギー療法と僕とオステオパシーの立ち位置についてのお話でした。
2018/09/06(木) 17:47:41 |
オステオパシーについて
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まとめに、統合医療についての僕の理解と、療法の選び方についてお伝えできればと思います。
統合医療は実際に医療系の大学で医学生が学び、現場に生かされているという意味では、アメリカの方が進んでいるところが多いようですが、日本でも少数ではありますが理解を示し取り組みを行っている大学や病院もあるようです。統合医療というもの自体、欧米が主体で生まれたものなので、日本が遅れをとっているともみえるけども。江戸時代とか近代西洋医学が入ってくる以前は、むしろ東洋医学が主流であったのだから、またバランスをとりもどしていけばよいだけかもしれません。
緊急を要するようなものや、手強い感染症などはもちろん、西洋医学から生まれた検査方法や手術、薬が役にたつところです。
一方で、腰痛や、膝痛、慢性頭痛、頸の痛み、腕の痛み、自律神経失調、過敏性大腸炎、クローン病など原因のよくわかっていない症状、病気や怪我の回復期、健康の増進などにたいしては、代替療法を選択枝に入れる人が徐々にではありますが増えてきているようです。
代替療法とよばれるものは、日本だと代表的なものは、鍼灸あん摩マッサージ、指圧、柔道整復、整体、オステオパシー、カイロプラクティック、リフレクソロジー、アーユルヴェーダ、ロミロミ、気功、ヒーリング、各種運動など、種類も量も多く見受けられます。
ただ、欧米と比較すると、日本においては、それぞれの認知度が低いですし、社会的な信頼性というものが築かれていない。では、どのようなものを基準に、なにを選択していけばよいのか。それが皆さんの気になるところかと思います。
ひとつめに目安になるのは、然るべき教育機関で、一定水準を満たす教育をうけていることです。これは安全面から考えると様々なケースを想定して、自身が施術をしてよいのか判断できる人でないと危険な場合があるからです。
日本において国家資格をのぞく各種療法は、数日から数週間のセミナーや何かで手軽に身に付けた技で施術にあたってしまうひとと、然るべき教育機関で基礎医学をはじめ相応な教育を受け、専門的に勉強し、日々研鑽を重ねよい仕事をしている人が同じ土俵にいる状態です。そして残念ながら前者がとても多い。なので、それを確認するのは一つ重要なことかと思います。もちろん独学で学びを重ねてよい施術をされている方もいるかもしれませんが。やはり基礎は大切です。
ふたつめは、自身が依頼者のどの部分にアプローチしていてどのような結果を得ることができるのかある程度明確になっている人。なぜなら、それは真摯な姿勢でとりくむからこそそれが見えてくるものですし、自分の限界を知っているからこそ、できることがあるからです。例えば、自分がある程度解せたりバランスを取り戻すことが得意という分野があるなかで、なかなか多くの方にあてはまるようにいかない、であったり、すぐに悪い状態にもどってしまう、であったり、十分に自分のみれる範囲は機能している、けれども症状は変わらない、では他に原因があるのではという判断ができることで、他の分野の療法家に紹介もしてもらいやすくなります。そのような正直で良心的な施術家であることも大切だと思います。
三つめは、自分の行っている療法一辺倒になっているひとよりかは、現代医療、西洋医療を補完する姿勢をもった方であることも大事かと思います。
ホームページでそういった点を意識してチェックしたり、メールや電話で確認されるとよいと思います。
あとは信頼のできる人に紹介をしてもらうなどももちろんよいと思います。
特にオステオパシーは頭蓋仙骨を含む筋骨格、筋膜、内臓、神経系、内分泌系と、脳脊髄液の具合など、アプローチをする範囲が広く、それぞれのつながり、よりケアがひつような部分がわかりやすく、他の療法への橋渡しがしやすい特徴があるのだなあと、いまさらながらしみじみ感じていて、良い療法家さんとのつながりが欲しいなあと最近よく思っています。
代替療法をうけていくことで、得られるおまけがあります。自分自身の身体にたいして理解がうまれてくる、ということです。
良質な代替療法を受け続けていくと、自分の身体の些細な変化にも気が付きやすくなってきます。
そして、なかなか気が付かなかった自分の癖などもみえてきます。例えをあげると、怒りの感情があるのに、対処できずに見て見ぬふりをする癖があるとすると、肝臓が負担をうけてきて、実際肝臓が硬くなったり、肝臓のまわりの膜が硬くなったり、そこから自律神経を介して関連する筋肉、横隔膜や肋骨、背骨の周りの筋肉や骨が硬くなってきたりして、そこから肩こりや頭痛を感じたり、より怒りっぽくなったりします。この際の大本の原因は、肝臓ストレスということもできるし、感情の対処ができずにいること、ともいえるし、どうしようもない環境の影響かもしれない。
そうなるとそれぞれの分野の専門家もいますし、助けになる書籍もあるし、また視野を広げていけばよい。
そうして自分の身体を観察できるようになっていくと、痛みや症状は治すべき、消すべき敵ではなく、病気を未然に防ぐための、よりよく過ごせるようになっていくため、自身が成長していくためのお知らせ、と捉えることができるようになっていきます。
正しい理解が生まれれば、症状が軽いうちに自分自身で気がついて自分でケアする方法も身につけて治すことができるようになっていき、より高い意味で、自己治癒力が増すといえると思います。
一方で、すでに持病があったり、症状がたくさんありすぎてこんがらがってしまって、自分自身だけではどうしようもなくなってしまっている方も多くみられます。
そんな方は、病院の医師と代替療法家と連携しながら、様子を見て、薬を減らしていったりして、自分でできる範囲を少しづつ広げて、健康をとりもどして行ける環境が本来は大切かと思います。
話がすこし飛ぶようですが、大きな物事の決定において、どこに責任の所在があるのかも見えづらい日本は、強力な政治のリーダーが積極的にどんどん社会、医療の仕組みを変えていくというより、様々な人がいる中で、場の空気感で大きな物事も進んでいくように私は感じています。それで良い面もあるのかもしれませんが、進み方が遅くなってしまったり、しらないうちにとんでもない方向にむかう面もあるのではないかと思います。
日本の医療システムや政治のことをよくわかっているとは思いませんが、やはりまだ、一般的な病院は、患者が訴えている症状にたいしての部分的な処方はしても、訴えている人全体をみた丁寧なケアはできてはいないし、それを望んでも難しい現状があるように思います。
なかなか難しいことなのかもしれません、ただ体は一か所がよくなるだけで他の部分にその良い影響が波及したりすることがあります。鍼灸で使うツボなんかもそうです。国や自治体に変わっていってもらうことを期待もするけど。身の回りから、本来こうあったほうがいいんじゃないかと思えた人が、理想的な医療、療養の、健康づくりの仕組みが実践されたら、自身と周囲の健康に、そして地域社会の健康に対して、さらには国の、世界の健康レベルの向上にたいして貢献できるのではないかと思います。
私は個人でオステオパシーを仕事にして、自分のやっていることを理解してもらって地域社会に根付くということの難しさを日々、身をもって感じますが、依頼してくださった人が体感を通して実際心地よく、変化して、それを通してなにかしら自分の心身にあたらしい見方を発見したり思い出してもらって、楽になって喜んでいるのをみせてもらえると、嬉しいですし、やはりやりがいのようなものを感じます。
今後どのような形におちつくかはまだみえませんが、より広く深い意味での癒しや心地よさを提供できるように、つながりを増やしたり、自分自身を磨いていきたいなと思っております。
長くなりましたが、お役にたてたら幸いです。
2018/08/28(火) 19:43:35 |
オステオパシーについて
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